待つことで得るモノがある

ブログのネタを提供してくれる「たねブロ」というサービスに登録してはいるものの一度も使った事がないので使ってみようと思います再æ\週ぐらいに、と書いてからはや1ヶ月が過ぎましたw

たしか、「待ち合わせで大分先についちゃった...そこらへんを散歩、携帯があれば大丈夫、カフェを探して一休み・・・あなたのヒマつぶし方法教えて。」というテーマでしたね。子供の頃から基本15分前行動のおでは言わば待つことのプロ、と言っても過言ではありません。なので、このテーマだけにはどうにか食指が伸びそうな、そんなカンジがしました。せっかくヒトから提供してもらったテーマで書くんだからおもしろい記事が書けるといいんですがね。

改めて考えて見ると待ち合わせとかするような友達には時間に正確なコがあんまりいません。åˆ\にわざとルーズなコを選んで付き合ってるワケじゃないですが、待ち合わせでなくて家に迎えに行ったりしても化粧もしてない顔で出てきて「今から用意スルーw」みたいなカンジのコが多いです。従って、先にも述べたように基本的に15分前行動のおでは待ち合わせをすると早く行った分も合わせて小一時間程度待たされる事も珍しくないです。

そもそも、何故おでが15分前行動の人に育ってしまったかと言うと、おでのものすごくのんびりとした性格を危惧したおで母が鬼トレーナーの如く「遅い!」「遅れる!」「間に合わん!」とæ€\きたてながら育てたからに違いないです。

それでも先天的なぐーたら要素まで変わったワケじゃないのが如何ともし難いのだけれども、もうすっかりいい大人になって四六時中親から干渉されるワケでもないのにいまだ少し早めに家を出ないと落ち着かない。幼児期の刷り込み教育とはかくも絶大な効果を発揮するものなのか。その効果は"早めに家を出る"のみに留まらず、"一心不乱に目的地を目指す"事にも大きく影響していると考えられます。
少しぐらい家を早めに出ても「時間があるからドコかに寄ろう」などとは思えないのだ。世の中は危険でイッパイです。目的地に向かう途中でいつ事故に遭うかわかりませんし挙動不審で職質されないとも限りません。15分前行動の15分はそういった不測の事態に備えるための15分なのだ。寄り道できちゃうかもねー的な余裕の15分ではない、断じて。強迫観念もここまでくるともはや病的な気もします。もしも寄り道をするなら最初からドコかに寄るべしでその時間も計算にå…\れて出掛けなければならない。しかし、それは社会通念上「寄り道」と言えるのか定かではない。

ともかく、そんなカンジで待たされる機会が必然的に多いのですが、生æ\は非常にのんびりした性格なので待つ事自体は全く苦ではありません。逆に人を待たせる事は非常に苦なので「早く着いたから喫茶店å…\ってパフェでも食おう」みたいな事をしてしまうと店員がオーダーをとりにæ\るまでの5分が10分に、注文してからパフェが出てくるまでの10分が30分にも感じられ「もしかしたら相手がもうæ\てるかもしれない」という焦ç‡\感が高まりパフェなど味わう余裕もなく丸呑みにせんばかりの勢いで平らげてしまいます。のんびり屋のおでとしてはその焦ç‡\感が嫌いなので、その場で普通に待ってる方がいいや、と思います。なんか矛盾してるような気もしますが、突き詰めて考えると世の中の全ての真実が矛盾していると言っても過言ではない、そういうモノです。

そんなワケで待ち合わせの場所に早く着いても大抵その周辺で落ち着ける場所をみつけて佇みます。
現代人はこういう場合すぐに携帯電話を取り出してメールなどしたりするんでしょうが、おでの場合携帯はその役目を果たしているのかどうか定かではないほどに忘れられた存在です。まず、天気が良ければ空を眺めます。空と言うか雲です。雲は時々刻々と姿を変え一瞬ごとに違う表情を見せます。形状を同じくするうろこ雲でさえ昨æ—\のうろこ雲と今æ—\のうろこ雲は全く違ううろこ雲なのだ。これぞまさしく究æ\µã®ã‚¢ãƒ¼ãƒˆã§ã™ã€‚何時間眺めてても飽きません。そうして雲を眺めている間は、一切の思考が停止してるか異常に脳が活性化して脳内マトリックス状態になっている事が多いです。結局、待ち合わせの相手がæ\るまでそうしていることもしばしばで、その時のおでの意識回路をカタチにすると

待ち合わせ場所に着く
↓
雲
↓
待ち合わせ相手が到着

という具合に時間の概念が完全にどっか行ってしまったような状態です。1時間も考えようによっては一瞬に等しいです。
残念な事に天気が悪かったり、逆に天気が良過ぎて雲一つない快晴だったり太陽が憎くなるほどに眩しい時などは往æ\を行きかう人々に目を向けます。いわゆるマンウォッチングです。

行き交う人々を見つめながらどこからともなく湧き上がってくる疑問を己に問い、哲学する。

 

もしも、太った人が"人偏"のモチーフになっていたら今の漢字はどうなっていただろう。

例えば「侍」はこんなカンジか?

 


いやいや、なんか違うな。

 


むしろこうだと思う。うん。


じゃあ、「償い」は

 


デブ賞、ほしくねーw


ならば「何」は

 

デブ可www

なんだか方向性が違ってきた気がするけれども、結論としては、デブは漢字を変える!


例えばそんな哲学です。時間を潰しつつも己を切磋琢磨しスキルアップできて一石二é³\、かどうかはわかりませんがまあ、飽きません。おでは。


他にももっと待ち方のバリエーションはあるんですが、既にホルモン分泌が始まる時間を1時間も逃しているので、今æ—\はこのくらいにしておきたいです。