看護学生に終止符

今週のお題「卒業」
なんか今週のお題は卒業らしいですね。今から書こうとしてる内容にジャストフィットしてるんじゃないかと思いました。これも何かのご縁だと思いました。

先日、車を車検に出してピッカピカになって帰ってきたのだけれども、その2日後に車に乗り込んでみたら黄砂といやらしい小雨のおかげで早速フロントガラス拭かなきゃ運転できないくらいどっろどろになっていました。言わずもがな憤慨しました。
かつては黄砂は春先に飛んでくるものと相場が決まっていたのですが、ここ数年は季節などおかまいなしに秋や冬にも飛んできてやがります。連中め、年中飛ばしてきやがります。
しかも、黄砂が飛ぶとこれまた季節に関係なく激しいアレルギー症状が出ます。ザイザル飲んでても効かないし、花粉よりも断然強力です。時には喘息発作を誘発することもあります。これってもう公害だよね。ダイオキシンまみれの砂、という時点でもう国として損害賠償請求できるレベルだよね。

そんなことよりも、国家試験も終わりまして、あれよあれよという間にもう卒業です。やっと長かった4年間が終わり、4月からはおでも看護師さんであります。まあ、国家試験の合否はまだわからないのですが、落ちてたとしても准看の免許があるのでどっちにしても4月から看護師さんです。

いやだ、働きたくない。嗚呼。もっと学生でいたいよう

この4年間いかに辛かったかしんどかったかなどということは綺麗サッパリ忘れてそんなふうに心の中で叫び続ける今日この頃であります。
特に進学コースに進んでからのこの2年間はストレスで血便が出たり喘息になったり逆流性食道炎になったりするくらいの精神的重圧と多忙さから、レスするのも忘れて放置していたのでまずは近況報告まで。以下、小学校の卒業式答辞風に箇条書きにて。


▲眠れなかった臨地実習
 看護師育成カリキュラムの中でもやっぱり実習というのが一番の精神的重圧なわけです。

准看過程での実習では、実際の現場でどんなことが学べるのか、自分が何を重点的に学ぶべきか、ということが全然はっきりしていない状態で実習している部分があったので、実習場に行ってもすることがない→身の置き場がない→病棟内をウロウロしてやらせてもらえることがないか探す→看護師さんに声をかけるタイミングを狙って右往左往する→で、それを実施して何を学びたいの?と聞かれる→何かそれっぽいことを言うor言葉に詰まる→何とかやらせてもらえるが10分で終わるorスルーされる→これを8時間繰り返す、みたいな感じで本当に苦痛でした。
それでも、ある程度実習を経験するとそれなりに自分の中で学びたいことというのができてくるにはくるのですが、こういう理由でこれをやらせてもらいたいときちんと根拠建てて伝えることができても「ふーん」みたいな感じの対応でOKなのか否なのかわからず置いて行かれたり、負けじと追いかけても目の前でシャッとカーテンを閉められたり、そうかと思えばリハやレクでの患者さんの移動や食事介助など労働力がいくらでも欲しい時には実施の根拠や学習とは関係なくまっ先に「学生さ〜ん!」と呼ばれ、そういうスキを見て見学や介助をお願いしていた処置を済まされていたり、挙句反省会では「皆さんは学生であって働きに来てるんじゃないんだから自分の学習目標を達成できるように行動しないとダメ」的なご指導を賜ったり、などなど挙げればキリがないですが、みんなそれなりに辛い経験をしてきました。もちろん全部がそんな人ばかりではなく、きちんと指導してくれる人もいましたが、実になったとは言えないことの方が多かったあの頃。進学コースには実際に准看護師として実習病院で働いてた人もいるので仲良くなると、実は質問されたくない、あんまり学生に見られたくない、学生についてこられたくないみたいな事をぶっちゃけトークされることもあります。自分自身にどこか鬱陶しい要素があるとかならともかく、学生という立場は自分の意思では変えようがないのでそう言われるともう身も蓋もないですよ。

そのような過去の苦い経験があったので、今の学校でももう実習前は胃酸が逆流しっぱなしで便はゆるゆるみたいな状態だったのですが、今回の実習では前述のような理不尽で悔しいというような思いをすることは一切なく、本当に実習らしい実習ができたように思います。
准看の時とは違って実習中はずっと一人の患者さんを受け持つので、今何をすべきかで迷わないし達成すべき目標や課題が見えやすいということもあったかもしれませんが、自分の看護の足りない部分や気付かなかった視点を丁寧にアドバイスしてもらえて、その分求められることは以前よりもずっと高度にはなってきますが、ちゃんと看護と呼べるものを沢山学んだという充実感がありました。ただ、半端無いくらい手書きの記録を書かなければならないので2週間のうち最初の1週間は一睡もできず、その後も3時間睡眠がデフォルトみたいな肉体的な辛さはありましたが、理不尽な扱いを受けることに比べれば眠れないくらいどうということはありません。とは言え、もう二度とやりたくありませんが。

准看過程の時よりはマシではあるものの、対人ストレスがないというわけではありません。実習には4名前後のグループで臨みますが、このメンバーは実習期間中は一心同体一蓮托生みたいなものです。なので、この中に一人でも腐ったミカンがいると実習を重ねるごとにグループ内の人間関係が悪化していきます。どんなにゴネたところで半年一緒にやっていかなければいけないのだからと中途半端に救済を試みたり我慢したりするので実習が終わる頃には最早修復不可能、実習が終わったという祝賀ムードでも恩赦し兼ねるほどにその人間関係は険悪なモノになっています。以前は場所が変わればメンバーも変わるので、そういう問題は少なかったのですがね。睡眠時間とか日常生活とか色々なものを捨て置いて死に物狂いで頑張る人間と舐めきった生活態度と学習姿勢でできないことを他の何かのせいにして言い訳しては腹いっぱい食って人一倍寝る努力する気のカケラもない人間が同じように卒業できるというのは甚だおかしな話であります。まあ、腐ったミカンのまま実習を終えた人は就職しても腐ったミカンのままなので本人が苦労するだけだと言えばそうなんですけれども、その理屈は結局のところ自分には関係ないしと言っているのと同じだと思います。何の解決にもなってないし建設的ではありません。

まあ、結局のところ今回も一波瀾も二波瀾もあり、実習期間中約半年間はずっと目を瞑って歯を食いしばった状態で無我夢中で疾走している状態に似ているので、解放された瞬間に抜け殻です。


▲難しかった国家試験
そんなこんなで、今回も実習終了後抜け殻になったままの状態で年を越しました。
元旦になってようやく意識が清明になり、来月には国家試験という現実に直面し慌てて道真公を祀る神社へお参りに行きましたが、おみくじは凶。滅多にない大凶ならば逆に吉兆とも受け取れますが、よりによって微妙な凶。その日の夜にはクラス全員に何やら小さな細長い紙が配られ自信たっぷりに開いてみると『不合格』と書かれている、しかもおでだけ、という不吉な夢を見ました。
本当に、やらなきゃと思いながらも全然勉強してなかったのでこれはさすがにヤバイと思いましたが思うだけで特に何をするワケでもないまま月日は流れ、結局重い腰を上げて試験勉強を始めたのが1月下旬でありました。始めたといってもそれまでのダラダラ生活が祟ってか5問解いては30分休憩、問題集を開いて2時間経つと頭痛がし生欠伸が出て2〜3時間ソファと一体化するみたいな状態がしばらく続き、結局丸1日かかって18問ぐらいしか解けないまま気持ちだけ異様に焦ってました。
さすがに本番2週間前になるとそうも言ってられなくなり一日中机に向かってましたが、2週間ごときは過去問6年分解いただけで過ぎ去ってしまいました。

こんなんでいいのか・・・・?

と本番前日に受験地に向かうバスに乗り込むおでの手には一泊分の荷物の他に、高級ティッシュが一箱抱えられておりました。
と、ともかく体調だけは万全にしておこう、と本番1週間前から抗アレルギー薬や胃腸薬を処方してもらい体を労り引きこもり生活を送っていたにも関わらず、本番2日前からおびただしい鼻水。花粉、だけではなく黄砂のせいなのではないかと思いますが、ものすごいアレルギー症状に見舞われました。本当にツイてないし不吉。
で、アレルギーの影響もあって、ホテルに着いた後20時ぐらいから絶頂にダルくて眠くて今寝れば一瞬で眠れると思うんだけれども、この日は高知でも雪がちらつき丸亀では吹雪状態みたいな寒い日だったのでお風呂に浸かって温まりたいしってことでゆっくり風呂に浸かって、自分の部屋は禁煙でタバコも吸えないから喫煙OKの友達の部屋に行ってギリギリまでタバコ吸いながら問題出し合ったりしてるうちに眠たいピークを過ぎてしまって明日に備えて早めに寝ようと0時前に床に付いたにもかかわらず4時半くらいまで眠れなくて悶えておりました。そして6時に起床。高知じゃ考えられないくらい寒いわ鼻水出るわ寝てないわで本当にコンディション最悪ですよ。

おトイレは遠い方なので試験中にトイレに行くなんておでには縁のない話だと思ってましたが、試験中2時間40分の間に2回も鼻をかみにトイレに行くハメになりました。できるだけ周りの人に迷惑かけないように鼻を啜るのも遠慮してたのでマスクの中が鼻水でズルズルになって鼻呼吸はもちろんとうとう口呼吸もできなくなってトイレに行かざるを得ませんでした。
まあね、試験中ずっと咳してる人もいたので鼻水くらい遠慮無く啜ればよかったのかもしれません。ほんとにね、試験の説明中とか空き時間には全く咳き込んでないのに、試験が始まるや否やゴホッゴホッと咳き込み始めて2時間40分ひっきりなしに咳き込んでたので、この人わざとやってるんじゃないんだろうかと思ったほどです。
あと、試験の説明を受けてから試験が始まるまでにトイレに行く時間があると聞いていたので、じゃあ15分前にバナナ食う時間もあるなって思ってたら、トイレにはいけるものの一人一人試験官の監視付きで、とてもじゃないがバナナを食えるような空気ではなく、午前中は試験前のバナナ摂取に失敗してしまいました。

で、試験の内容はと言うと正直難しかったです。
事前に6年分の過去問を解きましたが、どの年も何問かは何ですかコレ?みたいな問題が混ざっているもののそれ以外の問題の傾向ってある程度決まっているので、そこら辺さえ押さえときゃまあなんとかなるだろ、くらいに思っていたんですがね。

なんか、微妙に傾向が違うんですけど・・・・

と、午前中の段階であ゛―――な状態でした。
国家試験前にいくつか模試を受けるのですが、普通、模試というのは国家試験よりも若干難しめに作られていて、本番はもう少し簡単だけど気を抜かないようにみたいなことを言われるんですがね。なんか、その模試と変わらないくらいのレベルのように感じました。
普段の模試では120問解くのに1時間かかるかかからないかくらいだったので、本番で時間余り過ぎたらどうやって過ごそうみたいなことを事前に心配してたんですが、そんな心配は無用でした。鼻水とかで苦しかったせいもあるかもしれませんが、問題を読んで理解するのに超時間がかかって「はい、残り30分です」って試験官が言った時にはまだ110問目くらいまでしかできてなくて、はじめて試験であわわわってなりました。
午後は午前中の教訓を活かして試験の説明が始まる直前にバナナを摂取、念のための神頼みにと筆箱に入れてあったお守りを取り出してポケットに忍ばせたおかげで落ち着いて問題に取り組めたのか何なのか、なんか午前中よりは簡単だったような気がしました。相変わらず鼻をかみに2回トイレに行きましたが、それでも終了1時間前くらいには120問解き終えて、ゆっくりと見返しもできました。で、2ヶ所くらい「いや、これはやっぱりこっちかもしれん」って答えを変えたんですが、後で答え合わせしたら変えたとこ2ヶ所とも間違ってて最初の答えで合ってました。毎回、見直しで迷い始めて答えを変えると間違ってるので、見直しても明らかな問題読み間違いとか以外は今後一切答えを変えちゃダメだって自分にあれほど言い聞かせていたのに、それでも何故かやってしまう不思議。ちなみに、午前もなんとか15分くらい余って急いで見直ししたんだけど、やっぱり2問くらい答え変えて、変えたトコ全部最初ので合ってました。15分しかなくてもやってしまう不思議。

試験が終わって帰路につく頃には、模試を扱ってる各社が午前中の回答の速報を出してますので、みんな帰りのバスで答え合わせしたりしてますが、おではあ゛―――ききたくなーいー状態で、極力聞かないようにし、帰ってきてからも速報は見ませんでした。しかし、翌日には学校で強制的に答え合わせをしなければならず、嫌々ながらも答え合わせをしてきたような次第です。

その社の出した回答が大きく間違っていなければ正答率85%、良くも悪くもないぐらいの出来でした。国家試験の場合は合格のボーダーが何点になるかわからないのであくまで予想での合格圏内には留まっているカンジでしょうか。まことに不思議なのは、気分的にもバナナ的にもあ゛―――な状態でクソ時間がかかった午前中もバナナのおかげでなんかええよーな調子だった午後も正答率は全く変わりませんでした。完全に気分の問題で、結局のところどんなジンクスに頼っても自分の実力以上の結果は出せないと言われているかのようであります。
見直ししたので答えの欄がズレてるなどということはないと思いますが、マークシートの場合、塗り方が悪くて読み取りできないとか消したところがちゃんと消えてなくて重複回答と判断されるなんてこともあるので全然安心できません。
それに、午後にポケットに忍ばせた合格祈願のお守りが、家に帰ってきたらドコにもないのです。いつ、ドコでなくしたのかもわかりません。忽然となくなってしまいました。もうホント不吉。


▲支え合った友達
准看の時は級友の人種にそれほど偏りはなく、一般家庭持ち・独身アダルト・独身ヤング・BK(母子家庭)それぞれがほどよいバランスを保っていたのですが、現在は身の回りがBKで溢れかえっております。いつも一緒にいる気の合う連中はオールBKですし、准看時代には一般家庭持ちだった級友までもがいまやBK、まさに右を向いてもBK、左を向いてもBK、完全にBKC(母子家庭クラブ)化されてます。マジでBKC48が作れるくらいBKがイッパイです。

冒頭でも述べたように先日車を車検に出したのですが、丁度2年前の前回の車検の時も車を届けてもらった時に世間話してて「再婚は?せんが?」みたいなことを聞かれて、その時は「うーん、今はねー。勉強が第一やし、当面はえいわ。まあ、いい出会いでもあればねー、いずれは。」みたいな事を言っていたように思います、おで。で、今回も同じことを聞かれたんですが「え?せんせん。もういやや、めんどくさい。今更他人と暮らすとか、無理。」と即答です。
この2年で一体何がおでを変えたのか。別に何もありはしませんでしたがね、あまりにも周りがBKばかりなので、もうそれがスタンダードみたいになっちゃって、お互い結婚してた頃の苦労話とか聞いてたら、考えてみれば楽だよな今の方がってなっちゃって再婚する気なんかなくなっちゃうっつーのね。
なんか最近はママ友同士の中でのイジメとかもあると聞きますが、BK同士の中ではあんまりそんなのはないなあって思います。

あまりにもBKだらけなので、円満な家庭の人まで勝手にBKだと思い込んで話してる時があって、アラ?おたく違いまして?みたいな。この界隈では、一般家庭と母子世帯の立場が逆転しています。怖いですね。
世間全体では離婚率は減少しているそうですが、看護師の離婚率の高さは安定しているもようです。


▲捨て鉢になった就職活動
2〜3年くらい前は、大きい病院に就職して、救急とかも経験しておきたい、バリバリの看護師になりたい、みたいなことを考えてました。今もそんな気持ちが全然ないワケではないのですが、もう実習がピークにしんどい時期に就職を決めなければならなかったこともあり、もういい、別に特定機能病院とか三次救急とかじゃなくていい、試験とかめんどくさい、研修とかめんどくさい、休み、休みが欲しい、休みの多いトコがいい、んでもって人間関係が殺伐としてないとこ、で給料も普通の看護師並みにあるとこならどこでもいい、もうそこでいい、みたいな実習のキツさと勢いで決めちゃった感があります。

とは言え、そこそこの規模の病院で、上記の無茶苦茶な希望を満たしているのだから、あ゛ーうるさいうるさいうるさいこんな時にはよ就職決めろとか言われても今それどころじゃないわ察しろやあ゛〜ってなりながら選んだにしてはナイスなチョイスだったんじゃないかなという気がしてます。

で、一応最初は臨床経験がないから技術を身につけたいし、内科とか処置の多そうな診療科を希望してたんですが、何故か精神科に配属になりまして、どうしたものかと迷ってます。まあ、好きなんですけどね精神科看護。
精神科は処置とかあんまりないのでいきなり最初から精神科とか行ったら技術的なことが何もできなくなりそうなので、他の色んな科で経験積んで最終的には精神科か訪問看護に行きたいな、というのがおでの希望だったのですがね。
もうこうなったからには一生精神科以外の科には行かないつもりでその分野を極めるか、1〜2年で異動を希望するべきか、非常に迷うところです。まあ、そんな先のこと今から考えてもなるようにしかならないので、働きだしてから考えようと思います。

当面は一緒に卒業したみんなが「オペ出し続きで超忙しくて全然帰れん」とか「受け持ちが立て続けに3人も急変してよ、精神的にキツい」とか言いながらも充実した表情をしてるのを見て「へぇ〜、すごいみんな、本物の看護師さんみたいや〜」と羨ましく思ったりするのでしょうね。そしておでは患者さんとイモ掘ったり植えたり映画観に行ったりするのでしょうか。
まあ、精神科には精神科の大変さがあるのですがね、ハタから見てるとそんなカンジに見えなくもないです。



大体そんな感じの1年でしたということで、目下のストレスは出たくない卒業式&謝恩会と見たいけど見たくない今月末の合格発表です。