人体よりもその意義が謎

人体の不思議展を見に行ってきました。

何年か前に地元でやってた時はまだ殿下がお小さかったので美術館とか普通に無理でしたが、たまたまクラスメイトから近隣の県でやっていると聞いたので早速行ってみることにしました。
我々看護学生はたとえ実習に出るようになっても実際の人体標本や手術を見せてもらえるような機会はほとんどないと聞いてます。せっかく解剖生理を勉強しても、教科書の絵や模型で連想するだけの机上の知識にしかならないワケです。後学のためにも本物は見ておくべきだ、と思います。
が、正直なところ人体標本よりも生きてる人間を見に行ったみたいなカンジでした。
ゴールデンウィーク中なので余計混雑してたのかもしれませんが、どのケースの周りにも人、人、人。人の襟足しか見えません。やっと前の方に行けても後の人がいるのであまりしげしげと観察する事もできません。じっくり観察しようモノならソフトなボディアタックで「いい加減どけば?」と言わんばかりに押し出されてしまいます。
健常な肺を見て「これはタバコ吸ってる肺みたい」とか言うだけなら1mくらい後ろからでも全然OKじゃねえか、おでは左右の気管支枝がどんなふうに肺と繋がってるのかもっとじっくり見たいんだよ。「やだ、気持ち悪いっ♪」とかってわざとらしく顔を背けるくらいなら最初からケースの傍に寄らなければいいだろう乙女っぷりをアピールしたいだけなら別の場所でやってくれないか?そんな女に限って女友達と来たら間違いなく表皮を剥がれたペニスに重点をおいてキャーキャー騒いでるのはミエミエなんだよ。みたいな事を思ったところでみんな同じお金を払って見ているのだから仕方ありません。
仕方ありませんが頭部の前頭断面みたいなものなら多少離れてても見えるワケで、どうせなら近付かなければ見えないような耳小骨なんかをしっかり観察すればいいのに、誰もそんなモノには目もくれず腹のお肉をケースに押し付けて覆い隠しスライスされた頭の顔面を凝視するばかりです。

この人体の不思議展は滅多に見れない貴重な資料には違いないですが、ただ標本が並べられているだけで別に人体の不思議を解説したりしてくれるワケでもなんでもないです。
従って、人体知識がある人と一緒に来て色々説明してもらいながら見ればタメになるかもしれませんが、そうでなければ「へえ〜」「きもいねー」で終わってしまうようなシロモノです。専門家をおいていちいち解説するのは無理だとしてもせめて映像や音声で解説があればいいと思うんですがね。でも、そんな事したら物販コーナーのDVDが売れなくなるからやらないんでしょうけどね。

病巣のある部位の標本も展示されていましたが、それをただ見せられて一体何がわかるのだろう、というカンジです。
同じ脂肪肝の標本を見るにしても、脂肪肝がどういうものか何故起こるのかを知って見るのと知らずにただ見るのとでは見方が違ってきます。
自分や身内がそうでもならない限り脳卒中脳出血がどう違うのか、くも膜下出血と脳内出血でどのくらい生存率が違うのかもよくわからないというのが普通です。

せっかくの貴重な資料も「お母さん、くも膜下出血って即死?」「即死はないけど、まあ、大体は死ぬわね」などといった間違った知識を広める結果になってしまってはまるで意味がありません。これでは献体した人達も浮かばれないというモノです。

おでは学術的な展示物として見に行ったつもりですが、こんな状態では実質的には「見世物」であると言わざるを得ません。

病理を勉強してて思いますが、やっぱり何かあった時に人体や病気に関する正確な知識のあるなしが生命予後を左右する場合があるのは明白です。有益な知識や情報を得られずせっかく見に行ってただ「きもーい」で終わってしまうようなモノでは、何のために何を訴えたくて開催されてるモノなのかという疑問だけが残ります。

生命の神秘と尊さを伝えたいのだとしても、展示されている標本はどちらかと言えば乾燥気味で生々しさは全く感じられず、それが我々と同じように生きていた人間だという実感もなければ目の前に並んでいるのが『死体』だという感覚すらありません。手に取れる脳の標本なども、まるで『体のふしぎ』に附属してるプラスチックでできたアーサーの脳のようです。これでは、むしろ物のようで却って生命の尊さなど伝わるハズがないです。

標本に使われている死体は死刑囚のものだとか、弾圧されてる法輪功信者の信者のものだとか、非合法な死体調達部隊が暗躍してるなどなど、人体の不思議展に関して様々な憶測が飛び交っているのは耳にした事があります。
それがどの程度信憑性のある話なのかはわかりませんが、正直この展示の是非を問う人がいるのもうなづけるな、と思わざるを得ないです。結局、そこから得るものがないなら、何も本物の死体でなく精巧に作られたダミーでかまわないワケですから。

献体された死体と言えど生前は一人の人間としての人生があり当然その方の遺族が今もこの世界のどこかにいるかもしれないワケです。それを単なる実験道具や標本としてしか見れなくなったらマッドサイエンティストと同じです。
もしも、そこに並んでいる献体が自分の身内や隣人のものだとしたら、果たしてキャーキャーワーワー言いながら興味本位で見ることができるでしょうか。

献体とは、医学の進歩のためにのみあるべきものだと思います。それを掲げる以上、見せる側は見る人が厳粛な気持ちで見られるよう促す配慮をすべきではないでしょうかね。

ただ惰性で見せるのではなくせめて明確なコンセプトがあればもっと違うと思うんですがね、何て言うか、あまりにも軽いです。
そして、そうした主催者側の意図に何の疑いも持たずに興味本位で見に行って「うわー」だの「キャー」だのと騒いでいる利用者も、もう少し考えを改めるべきではないかと、そう思います。
まあ、色んな意味で参考にはなりましたが。