机の落書き

若人は、何故か机に落書きをします。それは何故なのでしょうか?

哲学的に言えば、「そこに机があるから」です。
あるいは、壁でも同じ事が言えますが。

まあ、おでの場合机が黒ずんでしまう事が嫌いで机に何かを書くよりはむしろ何も書かれていなくても消しゴムで消す事の方が多かったですが、授業中退屈で絵とか描きたくなる気持ちは何となくわかります。しかし、誰にともなく残された呟き系の落書きはどうにも理解ができないような次第です。

たとえば、

「MILD SEVENが好き」

と机に書かれていたとします。これを書いた人は誰に対して何を言いたかったのでしょうか?
いや、誰かに何かを伝えようとしている文章のようには到底見えません。

ここから読み取れる心理描写は

「んー、退屈だなー。何か書こうかな、何か書きたいけど、うーん、何にも書く事がないや、ま、これでも書いとけ」

みたいなカンジです。それ以外に伝わってくるモノはありません。あるいは「アタシ喫煙してんだー」って事を周囲に吹聴したかったとも考えられますが、どっちにしても読んだところで「で?」みたいな言葉しか出てこないです。

しかし、おもしろいことに、こうした意味不明なメッセージに反応する人達がいます。なので、何年後かにはその落書きが

MILD SEVENが好き

  やっぱセッタでしょ!

 あたしゎ BEVEL(ハァト)

   YOSAKOI最終日・・・涙出た(T-T


というような状態になっていたりするワケです。
そうして顔も知らない卒業生や先輩と見えない何かで繋がったような気がするモノなのかもしれませんが、自分の机にこういうアイタタな浪漫の歴史が刻まれていたら「目障りなんじゃボケ」と吐き捨てて眉一筋動かさずMONO消しでサヨウナラです。
こういう何の進捗もないメッセージに呼応し合うのは大抵の場合自分の置かれた状況や自分自身に浸りきって明けても暮れても堂々巡りの恋バナとかをぐだぐだ話しているような子達だったりするのがセオリーですが、言ってる事もやってる事もとことん不毛です。中でも四人目の落書きちゃんは不毛なうえに空気まで読めない救いようのないバカ者と思われます。
まあ、飽くまで落書きの内容そのものはフィクションであり登場するお馬鹿どもは実在の人物ではないですけれども。


おでのような合理主義者にはわからない何かがあるのかもしれませんがね、何かを書きたい表現したいという思いはあるけど何を伝えたいのか表現したいのかわからずただ書いてる、という感が否めません。それは他人から見れば垂れ流しの駄文でしかない、というのが客観的事実です。
アートっていうのは大抵何の意味もないくだらないモノで、おではそういうのは好きですが、意味がなくてくだらなければ何でもアートってワケじゃあないです。
ただ書きたいから書いているのだとしても、わざわざ人目につくトコロに書く、というのはやはり自己主張したいとか誰かと関わりを持ちたいとか何らかの潜在的な欲求が含まれているからじゃないんでしょうかね。

それにしても何故突然机の落書きなのかと言えば、おでが今まさに「そこに机がある」という環境にいるからです。
そこにはお誂え向きに始終出口のない恋バナに浸りきってる少女達もいます。そして、そこに机があれば結果は明白です。

じゃあ、彼女達がブログという表現の場を手に入れたら・・・・・と考えてしまいました。まあ、ブログになればさすがにもう少し建設的な事が書かれていると祈りたいですが

普通にこういう状況(後半部分)しか見えてこないw


ホームページの運営を辞めてブログに移行した時の最初の記事で「ブログブームが一向に下火にならないは何故なのか」みたいな事を書いた時に少しこれに近いような事を書いた気がします。
結局のところ、ブログ人口が増え続ける背景には「書きたい時に丁度そこにある」という机的ポジションがあるのかもしれませんね。
2ch便所の落書きと言った人がいましたが、ならばブログの大半は机の落書きのようなモノなのかもしれません。

訴えたい何かがあって書いているから有益かと問えば必ずしもそうとは言えないのが実状であります。

ここ最近、文字化けしない解析ツールを手に入れたことで自分のサイトにどんな検索ワードで飛んでくる人がいるのかがわかるようになりました。
「治療 虫嫌い」とか「生と死 小論文」とか「痩せるための運動メニュー」とか、真剣に何かを調べようとしてるっぽいキーワードに対しこのブログは何の役にも立っていないと思われます。いや、それどころか紛らわしいに違いないです。全く、申し訳ない事この上ないです。
おでだって薬の事とか調べてて、メンヘルみたいなコがモルヒネモルヒネ言ってるだけの記事が上位表示されたらイラッとしますがインターネットは机とは違うので否応ナシにMONO消しで消したりはできないですからねw


今や『ネットで受けた恩恵はネットに還元する』みたいな考え方はもう古いのかもしれません。そんな片鱗は今のネット社会には見て取れませんし、そんなの初耳ですインターネットは自由な表現の場だから何やったって自由でしょ?楽しんでるだけだしって人の方が多いような気がします。
そういう中で自分もどんどんそんな意識が薄れていってるような気がします。フと気付けば自分の事しか書いてないんじゃないか、とw

ま、自分のお金儲けのためにネットがあると思っているような人がどんどん増えてる事から言えば「楽しんでるだけ」はまだ善良な方だとは思いますがね。

やがて、ネットで何か調べ物をしようとしても有益な情報が何一つ引っ掛からない日がやってくるかもしれませんね。




いや、それは、困るw

還元しようよ、還元

おでも、10回に1回くらいは有益な記事を書けるよう心掛けたいとは思ってますがね。思うだけなら簡単なんですがね。

一口に有益と言っても、何も情報だけが有益というワケでもないです。

例えば、こんな記事。

つまらないブログが多過ぎる [★Peaky Speaky★]

こういう批判的とも取れる記事を書くと必ずムキになって反論する人が現れたり某所から叩かれたりするので、大抵書くのを避けるモノですが、こういう記事を書いてくれる人がいるというのは非常に有難い事だと思います。

ネット社会というのは兎角無秩序になりやすいモノですから、これはオカシーんじゃないか?と思ったら警鐘を鳴らすことも時には必要だと思います。なんでもかんでも批判すればいいって取られても困りますがね、飽くまで常識の範囲内だし、やっぱりこれは、できる人も限られてきますしね。
上で紹介したスネ〜クコラムの記事なんかもそうですが、「どうせ書くならせめてもう少しヒネリを」みたいな事はおもしろい記事を書いてる人にしか言えない台詞です。

そういう記事も寛容な心で読めるようになったのは1年休んですっかり毒が抜けたせいかもしれませんが、逆に言えばもう自分はそのテの記事は書けないだろうな、とそんな気がするので、それは数多の心ある猛者にお任せしておでは他のスキルを活かしたいと思いますw


まあ、権利というのは義務と責任の上に成り立っているモノだって事を忘れて自由自由と主張する風潮が強い昨今にそんな事言っててもバカを見るだけかもしれませんけれどもね、別に誰にも迷惑さえかけなければ何やってもいいってワケでもないし迷惑かけてないって思ってるのは自分だけなんだ、と。ネットでは多かれ少なかれ誰かから恩恵を受けているんだ、と。


あと、無料は無償とは違うんだ、とw


古き時代の教訓ではありますがせめて心の片隅でも留めておいてほしい、死が二人を分かつまで。

最後の締めが自分でもよくわかりませんが、机の落書きの話がこんなふうに発展するとは誰も思わなかった方に500円賭けます。