スミマセンモ梨

日曜の朝、家電話が鳴る音で目覚める。

滅多に鳴らない家電話が鳴るといったら大抵の場合家族からの急を要する電話なので妙に緊張する。番号を確かめて見ると知らない番号だったが一応市内のものなので出てみる。

もしもし、と問うや否や「あ、わたし、○○町のYですが。先日は大変お世話に・・・・」などと一方的に会話を推し進める老女とおぼしき声の持ち主。

時刻は6時50分。

日曜の朝6時50分に他人の家に電話をかけるのがこの人の『お世話になった方へのお礼』の仕方なのだろうか。まあいい。いいがしかし、その老女が何を言っているのかサッパリ理解できない。

寝ぼけているのだろうか、おで。とも思ったが、起き抜けでまだよく働いていな頭をフル稼働させた結果おでの脳は『これは間違い電話である』と判断した。
「あの、うちは○○ですけど、もしやお掛け間違いではないですか?」などと問うてみる。何もそんなに丁寧に言う必要はないのだけれども。
本来なら間違い電話というだけでちょっぴり不機嫌なうえにそれによって睡眠を妨げられたともなれば、しかもサンデーモーニングが始まる1時間も前とあってはもはや不機嫌などという態度の悪さでは済まないところなのだが、やたらと丁寧な老女の物腰に触発されたっぽい。

しかし、間違いを指摘された老女の反応ときたら「えぇ〜?そうですか〜?」と。

いや、そうですか?ってアンタ、コッチがそう言ってるんだからそうに決まってるじゃないか、なんだその日本語は。
何と言うか、納得がいかないと言うか諦めがつかないと言うか「あたしゃ間違えちゃおりません」と言わんばかりなので「十中八九間違いです」と親切に教えてあげようとした瞬間『ブツン』と音をたて電話は切れた。

普通の時間帯ならまだしも日曜の早朝という迷惑極まりない時間帯の間違い電話にしてまさかの『スミマセンもナシ』である。25世紀くらいの斬新な梨か、と。
なんだか、色んな意味で納得がいかない休日の始まりだった。


年寄りは、平日と休日や早朝とデイタイムなどといった時間的概念がないものである。が、常識がないのは年齢とは関係ない。