親切の道は一日にして成らず

小さな親切とは、簡単なようで実は難しいと思います。
誰かに親切にして喜んでもらえれば嬉しいし気持ちが晴々とするものですが、問題は相手がその親切を望んでいるかどうか、という事です。
日本には『ありがた迷惑』『小さな親切大きなお世話』などという言葉がありますが、一見困っているように見えても他人に手を貸される事を恥ずかしいと感じるシチュエーションもあったり、元々他人に手を貸されるのをよしとしない性格の人もいたりするワケで、勇気を振り絞って親切行為にでたものの却って迷惑がられ赤っ恥をかくなんて事もなきにしも非ずです。それを恐れるあまりヒトは親切に対し臆病になる。
たぶんこれは日本人特有の葛藤じゃないかと思いますが、気が付いててもなかなか親切を実行にうつせない背景にはそういったあれこれがあると思います。

じゃあ、そんなシャイな日本人達が日頃躊躇している小さな親切とはどんな親切なのか、『いざやろうと思うと実行に移せない小さな親切ランキング』で見てみよう。

はい、見てみました。大体は「あー、何となくわかるかなー」という気もしますが、『急いでいる人に順番をゆずる』『道を譲る』『物を貸す』『倒れている自転車を起こす』『トイレットペーパー等がなくなったら補充する』とか、この辺りは親切とかじゃなくて自然に出来る行動のレベルだと思うんですがね、これは実行に移せないと言うか実行に移す気がないだけだろ物臭かドケチだろ、と。

ま、何かをするにあたりできない理由を言おうと思えばいくらでも言えますのでね、『やる気がない』を『できない』だと思い込んでる人は結構多かったりします。

まず最初に考えるべきなのは『如何にして成すか』であり、その結果『できるかできないか』が決まるのですがね。初めに『できるかできないか』を考える場合もう潜在的レベルでやる意思がないと言っても過言ではないです。
「じゃあ、ああすれば?こうすれば?」などと建設的な提案をしてあげても「でも・・・」といちいち全てにああ言えばこう言うような人が、身の回りに1人や2人はいるんじゃないかと思います。その方がこのタイプです。
困ったことにこれは潜在的なものなので本人は自分にやる気がないなどという自覚は全くなく「本当にやる気があるのか?」と問いただしても結局水掛け論になるだけです。なので、こういう人がなんか言い出したら「へぇ」と受け流すか無視するに限ります。むしろ声を大にして「やりたくない」と言いきる人の方が扱いやすいというものです。

昔から「情けは他人のためならず」と言うように、確かに小さな親切によって思わず小さな見返りを得られたりそこから新しい人間関係を築けたりという利点も少なからずあるのは認めますが、だからやろうと言うのではこれは親切とは言えないと思います。この諺が言わんとする「ひいては自分のため」とは己の人間性のステップアップ的な事を指しているとおでは考えてます。とにかく1に無欲、2に無欲、3,4がなくて5にあわよくば。くらいのつもりでw
欲というものがまるでないのも妙に人間性が感じられなくて却って気持ち悪いので5番目に「あわよくば」と思うくらいの欲は持っててもいいんじゃないかと思います。

では、そのなかなか実行に移せない小さな親切を『如何にして成すか』を考えてみようじゃないか、兄弟。





公共の場で騒いでいる人を注意する

これはよくあることですが、この場合ありがた迷惑がられる葛藤とかより普通に反発された時の事を考えて躊躇してしまうと思われます。
たしかに、おでも右○の車に「ちょっと静かにしてくれませんか?」とかって注意できるかと問われれば、そんな事できるかたわけが!とはっきりキッパリ逆ギレします。あと、引越しオバサンみたいな人が近所にいても極力関わり合いになるのを避けるでしょうね。そういった特殊な人種以外なら注意しようと思えばできるかもしれませんが、注意する事が必ずしも周りにとって親切な行為であるとは言い切れないのが現状です。
ある意味、こちらが我慢しているからそれで済んでいるとも考えられます。ヘタに注意などしようものなら寝た赤子を起こすようなもので余計に騒がせる結果になってしまう場合も無きにしも非ずです。特に最近の若者はすぐに刃物出したりしますからね。

それでもまあ、騒ぐべきではない場所で騒いでいる輩がいれば当然それを律する存在が必要ではありますね。都合よく近くにお巡りさんなんかがいればいいんですが、運悪く自分以外にその役目を果たせる者がいないと悟ってしまったそんな時は、逆に彼ら以上に自分が騒いでみるのもいいかもしれません。いわゆる反面教師というやつです。
一人でやると更に効果的だと思います。ポッチ一人で自分達以上に騒ぐあなたを見ればさすがに彼らもそれが如何に恥ずかしい行為であるかを自ら悟ってくれるに違いありません。但し、ゆとり世代の人達がそんな深いトコロまで読み取れるかどうかは定かではありませんし、逆にあなたが勇気ある誰かから「いい大人が、みっともないですよ」などと注意されるかもしれないという非常にリスキーな賭けではありますが。



本人が気づいていない恥ずかしいことをこっそり教える(ファスナーが開いているなど)

こういう場合、親しい相手なら何を遠慮する事もなく「開いてるし」とか言えばいいんですがね、特に面識がない人の場合はこれは難しいです。他の人に気付かれないように教えてあげればいいだろうとか思いがちですが、そうした配慮をしてもなお「ドコ見てんのよ」みたいな非難がましい目付きで見られたりする事が多いので割に合いません。

要は相手がそれに気付いた時に『自分で偶然気付いて幸い誰にも見られていない』と錯覚させればいいワケです。では誰に指摘されるともなく己のチャックに注意が向く時とは一体どんな時かと考えて真っ先に思い浮かぶのは言わずもがなお手洗いに行った時です。男性はシャワーや水道の蛇口からチョロチョロと水が流れるのを見ると高確率で尿意を催す、と以前何かの本で読んだことがあります。つまり、相手が男性ならペットボトルの水やお茶を目の前でさりげなくチョロチョロこぼすとうまい具合に尿意を催す可能性があります。C.C.レモンなどはまるでこのために存在しているとしか思えません。残念な事に女性にはそんな特性はないですが、女性のほとんどは下半身の冷えに敏感なので「なんかスースーするわね」と思わせることができれば高確率でチャックに注意がいくと思われます。うまい具合に扇子か何かでそよ風を送ってみるのもいいかもしれません。事と次第によっては痴漢と間違われかねませんが。
結局のところ、親切心で教えてあげようと思うから割に合わないと言えます。逆転の発想を用いればつまり教えてあげようなどという不遜な気持ちを持っていなければ相手の反応も気にならないわけですから、もう相手が気付くまで思いっきり社会の窓をガン見するのもアリかもしれません。真の優しさとは実はそういうものかもしれません。奥が深いですね。



探し物を一緒に探すコンタクトレンズなど)

こんなの普通に「どうかしましたか?」と声をかけて一緒に探してあげればいいと思うんですがね、逆の立場で「ない!ない!」と大騒ぎして周りの人を巻き込んで大捜索が始まってから実は家に置いてきてた事を思い出しちゃいましたさてどうしましょう、みたいな事とかたまにあったりしますね。そんな時どんなふうに対応すればいいのかだったら割と考えやすいですが、こんな当たり前な事ほどハウツーするのが難しいです。

手伝ってあげたいけれどもそれを自然に言い出せない、そんな時は「何かをお探しですか?実は私もなんです奇遇ですね」などと言いそこらあたりを探索しまくればいいと思います。そして何かを見つけたら「もしやあなたがお探しのものはこれですか?」とあたかもついでに見つけてしまったかの如く振る舞いましょう。そうした手前、相手が目的の物を発見してその場を去るまであなたはありもしない何かを探し続けなければなりませんが。
もしも、探す前から「あの人が探してるのはあそこにあるアレなんじゃないだろうか」みたいな目星がついているなら渡りに船です。それをすかさず拾って颯爽と彼ないし彼女の目の前に立ちはだかり「あなたが落としたのはこの世界最小レンズですか?それともこのコンタクトレンズですか?はたまたこちらの魚のウロコですか?」と問いかける絶好のチャンスです。しかしその場合、あらかじめ比較用アイテムを少なくとも二つは用意しておく事を忘れてはなりません。備えあれば、憂いナシです。。



お年寄りの手を引いて横断歩道を渡る

よくよく考えてみれば手を引いてあげたからと言って渡る速度が速くなるワケではないので、いかにお年寄りと言えど自分の足でしっかり歩けている人の手を引いてあげる必要があるのかどうか定かではありません。むしろ自分は歳の割には健脚であると自負しておられる方にしてみれば「ええい、年寄りとバカにしおっていらぬお世話じゃこの青二才が」みたいなカンジかもしれません。しかし、自力歩行してはいるもののいつ点滅し始めるとも知れぬ歩行者信号に戦々恐々としつつ横断しているお年寄りにとっては自分と歩調を合わせて歩いてくれる人がいるとそれだけで非常に心強いのではないかとも思われます。

誰かと手を繋ぎたいけどきっかけが掴めない、そんな時の定番といえば、そう、フォークダンスです。今は便利な時代になったもので多くの人が音楽を聞ける携帯電話を持っていたりしますので、横断歩道でマゴマゴしてるお年寄りを発見したらここぞとばかりにダウンロードしておいたマイムマイムを再生しつつ後からそっと近付き「マイムマイムマイムマイム♪」のリズムに合わせてお年寄りの手を引いてあげましょう。しかしその次の「マイムベッサソン♪」のトコロでは後退しなければならなくなるうえに曲頭に戻ると横移動しなければならないのがこの作戦の落とし穴です。結果的に車が行き交う交差点のど真ん中にか弱いお年寄りを導いてしまうことになりかねないのであらかじめ「マイムマイムマイムマイム」の部分だけをリピート再生するよう編集しておく必要があるかと思われます。しかしそんなものはもうマイムマイムとは呼べませんが。



道に迷っている人に道案内する

知らない場所で自分がドコにいるのかわからなくなるというのは実に心細いものです。しかも、その先に果たさなければならない使命が待っているとあらば一層パニックに陥り手足や腋に妙な汗をかいてしまいます。心細いうえにパニック状態ですから正常な判断ができなくなり親切面で近付いてくる知らない人がみんな悪人に見えたりして「怪しげな路地裏のパブとかに押し込まれて外国に売られてしまうかもしれん」みたいな妄想へと発展しがちです。

そんな不安でイッパイのおのぼりさんを目的地へ誘う場合、連れて行ってあげようというのはこれは逆効果かもしれません。やはりここはメモ用紙などにわかりやすい地図を描いて渡してあげるのがモアベターなんでしょうけれども、あいにく筆記用具なんか持ち合わせてないよというそんな時には、おもむろに食パンを一斤取り出し少しずつちぎっては投げちぎっては投げヘンゼルとグレーテル方式で目的地までの道標を作ってみてはどうだろう。まあ、そんなのでついてくるのは鳩か雀くらいでしょうし、筆記用具は持っていないが食パンを一斤持ってるというシチュエーションにもかなり無理があります。



どうでしょう、こうしてみると普通に親切にする方がはるかに楽なような気がしてきます。親切を実行に移すってこんなにも簡単な事だったんだ、と。シャイなあんちくしょうもそんなふうに思えたに違いないです。