シスブラ in 世界遺産

sisbla2008-08-15


神話の世界に触れたいな、と思い立って島根県出雲市に行ってみようと思いました。唐突に。

高知から島根までは高速を使えば4時間くらい。おでの「そこ遠いの?」「いや、全然。片道2時間くらい。」という感覚はどうやらヒトに言わせるとおかしいらしいですが、片道4時間ならおで的にはブラっと感覚で出掛けられるカンジです。

で、はるばる出雲まで足を伸ばしたワケですが、せっかくここまで来たんだからやっぱり石見銀山を見てみたいかな、というような流れで石見銀山に行って来ました。

朝6時に高知を出発し出雲市に到着したのが10時半頃。そこまでは順調でしたが、高速を降りてからちょっと道を間違えたり出雲市内で亀みたいな車に引っ張られたりで結局石見銀山がある大田市に辿り着いたら軽く昼前でした。
さあここまで来たらいよいよ石見銀山は目前なワケですが、到着してから車を停めるまでに軽く30分くらいかかりました。はじめは1時間待ちと言われたので30分で駐車できたのはラッキーな方だったとは思います。着いた時は「まあ待ってもいいかな」と思える程度の長さだった行列が待っている間にどんどん長くなっていきます。到着するのがあと30分遅かったら迷わずUターンしてるカンジです。この日は平日で盆休みのピークからもズレていたにもかかわらずこの人出ですから国民的な連休中などに来ようなどとは思わない方がいいかもしれません。

30分も待たされた割には駐車場には何台分も空きがあったのでどうやら「駐車場は3つあって入り口に近い駐車場は満車で入り口から遠いトコロにある駐車場はまだ余裕で停めれるカンジですがどっちにしますか?」的な事を1台1台確認せんがために駐車待ちの行列ができているのかと思われます。一番遠いと言ってもそこから入り口まではたったの300mくらいなのですがね、入り口手前の駐車場近くまで行ってみるとおで達よりもずっと前に上がって行った車達が延々駐車待ちしてる状態です。
都会の人達は並ぶ事に慣れてるのかもしれませんがわずか300m楽したいがために小一時間待つなんて普通に割りに合わないような気がするんですがね。

さらにそこから銀山地区のいくつかのポイントに向けて乗り合いバスが発車しているのですがそのバス乗り場にも長蛇の列。
しかし何もそのバスに乗らなければ銀山地区に入れないワケではなく森の遊歩道を歩いて行けばバスが到着するポイントまでは10分程度です。石見銀山はその一帯の佇まいも含めて世界遺産とされてるワケですから歩いて散策して回ってナンボだと思うのですがね、そんなに歩くのが億劫なら何故こんなトコロへ来たのだろうこの人達はと普通に疑問です。

駐車場から森を抜けて最初のバス停がある銀山公園まで歩いて行くと途中に羅漢寺があり、その向かい側に五百羅漢が見えてきます。
自然の岩肌を利用して作られた祠の中に五百体の羅漢像が収められている場所です。


残念ながら内部は撮影禁止ですが、なんとも荘厳とした眺めです。まさに遺跡というカンジです。子供の頃から考古学に興味があったおでとしては妙にソワソワして腸の蠕動運動が本の沢山ある場所に行った時くらい激しくなります。

歩くのは大して苦になりませんが、この季節なんともし難いほどに暑いです。持参した水筒もアッという間に空になってしまったので銀山公園で飲み物を補給します。結局ペットボトル1本じゃ全然最後までもたないので後々羅漢寺で湧き水を汲んでおくべきだったなと後悔しました。

中継地点である銀山公園から上に登ると有名な龍間寺間歩などがある銀山地区、下って行くと昔ながらの佇まいを留めた町並み地区、というふうになっています。まずは銀山地区へと向かいますが龍間寺間歩までは森を抜ける遊歩道と小川を挟んで対岸にある舗装された道路の二つの道があります。山好きのおでとしては迷うことなく遊歩道派です。

森の緑、小川のせせらぎ、素晴らしきかなマイナスイオン。というカンジです。結構な道のりがあったようですが疲れは微塵も感じませんでした。ただただ景色が素晴らしい。


景色は素晴らしいんですけれども無論そこを歩いているのは我々だけじゃありません。この時点の人出は400台駐車可能な駐車場が満車で1台に平均して3人乗ってきたとしてもそれだけで1200人。さらに大型バスで来たツアー客や公共交通機関を使って来た人も加えると軽く2000人がこの石見銀山周辺に蠢いているワケです。そりゃあそんだけ人がいれば当然色んな人がいます。
山道を歩く間ずっとどうでもいいBBQの話に花を咲かせている大学生くらいの若者とか、普通にうるさいし君達何しに来たの?ってカンジです。まあ、そんなのは善良な方ですが、男2×女1の3Pカップルのピザの方の男が歩く間中ずっと己をアピールするかのように武勇伝やらウンチクやらをベラベラベラベラしゃべり続けててメスの気を惹きたい一心丸出しでウルサイとか通り越してすげーウザいんですけどおまえのような男はと、色んな意味でマイナスな空気もいっぱい吸い込んで癒されたそばから蝕まれていく自転車操業のような様相です。

山道を抜けると古めかしい民家がポツポツと点在するような場所があってこれぞまさしく日本の原風景だなと、どこか懐かしい気持ちでいっぱいになります。そこでカメラを構えナイスなアングルを模索しているとフレームの中に親子とおぼしき3人の女性が入ってきました。いや、別に入ってきたのはいいんですがね、あろうことか彼女達は人がカメラを構えている真正面に思いっきり居座り込んで動く気配がありません。様子を伺っているとどうやら「もう歩きたくない」と座り込んでゴネる次女を母親と姉がオロオロしながらなだめている様子です。次女って言っても一見して大人、どう若く見積もっても17〜8歳というカンジですが、キレて泣きじゃくりながら「こんなに歩くって知ってたら来なかったのに!」とか「こんな場所だって一言も言わなかったじゃない!」的なことを怒りまかせに母親と姉に怒鳴り散らしています。

オマエハ(・∀・)カエレ!

としか言いようがありませんが、オロオロしてるだけの母親と姉を見る限りではこの娘はこうしてあらゆる局面で何でも人のせいにしてダダこねて誰かがベストな環境をお膳立てしてくれるのを待つような育ち方をしてきたんだろうな、と。絶対自立できねーだろうなコイツは、と。

ほんとに、何しに来たんだってカンジです。
まるでビーチリゾートにでも行くかのような格好にビーサンとかヒラヒラしたお洋服にピンヒールみたいな服装の人は結構沢山いますが、どちらかと言えばここは動きやすく少々汚れてもいいような軽装で来る場所というカンジです。途中「面接の帰りですか?」と思わず問いたくなるような一張羅をお召しになった汗だくの方とすれ違った時はさすがに瞳孔が開きました。


古民家が点在する場所を抜けるとまた山合いの道が広がってポツポツと山の岩肌に洞が目立ってきます。そこから少し歩くと龍間寺間歩があります。間歩の入り口に立つとエアコンも真っ青のひんやりとした空気が流れ出てきてます。

入りたい、この中に入りたいよ、お母さん!
というワケでさっそく入ってみます。

天然の洞窟のような雄大さはないですが、いたるところに人一人が腹ばいでギリギリ通れるくらいの横穴が不気味に口を開いています。

これらが来る途中岩肌に開いていた穴に繋がっているのでしょう。無論、横穴には入れませんがこれを昔の人が全て手作業で掘っていたのかと考えると人間ってすごいなと思います。こうして一見無理に見える事を知恵と根気で可能にしてきたんでしょうね。ほんとに、倫理観というたががなければ人間は何を仕出かしても不思議じゃないです。

間歩の中にいる間は涼しかったですが、洞窟と同じで湿気が多いので間歩から出ると入る前に比べ当社比3倍くらい体がベタついてます。キモチワルイ・・・
しかし、まだまだ銀山見学は続きます。今度はそこから下って町並み地区を目指します。

下りは対岸の舗装路を通ってみます。途中、ラクーンみたいな自転車に乗った人と何度もすれ違います。どうやらどこかに貸し自転車屋があってそこで自転車を借りられるようです。たしかにこれは楽ですが、向こうの遊歩道の景色を見ないでいきなり終点の龍間寺に行くのは非常に勿体無いと思います。これから石見銀山に行かれるという方には断然徒歩での散策をオススメします。
別に自然の景観とか古い町並みとか興味ないし見なくてもいい歩くのめんどいし、という方には石見銀山そのものがあまりオススメではないと思われます。

町並み地区は本当に何とも言えない懐かしい雰囲気です。


かつては日本の地方のいたるところにこういう場所が残っていたのに変に都会指向の都市整備計画のせいで今はほとんど見られなくなりました。

この写真の群言堂さんはかつて庄屋さんだった家を改築したお店で店内ではオリジナルの服だとかちょっとしたこだわりの品々を扱っていて店先に並んでいるオシャレなオブジェは毎月変わるそうです。奥はカフェになっていてケーキが美味しいこの町並み地区で是非行ってほしい店No.1だと、帰りに乗ったタクシーの運転手さんから聞きました。まさに今更ジローですが。

この日は平日だったので開いてない店が多くて残念でしたが、それでもこの町並みを見るだけでも十分に胸を打つものがありました。
誰でも潜在的に原風景というモノを持っているそうですが、おでの場合はこうした緑豊かな里山鄙びた町並み、そしてそこに訪れる夕暮れのような風景にわけもなく強く惹かれます。たぶんそれが自分の原風景なのではないかな、などと思ったりします。
この場所はまさにそういう雰囲気を醸しています。ただ、町並みは古く感じますが1つ1つの建物を見ると比較的新しそうなものがあったり銀行や郵便局までこうした外観なので若干「作られた町並み」という感も否めませんが、そうした古い建物を壊さずに大事に修理して今もそこに人がきちんと住んで生活しているという事はすごい事だと思います。

そう、住んでるんですよね地元の皆さんが。
これは逆に考えるとここに住んでる人は本当に大変だなと思います。

こういう長閑な鄙びた町でのんびりと余生を過ごしたいというのがおでの夢ですが、こう一年を通して朝早くから夕暮れ過ぎまで見ず知らずの余所者が徘徊してはそこら辺りで騒いだり憩いの我が家にカメラを向けられたりしては部屋着で窓を開けて過ごすこともできませんよ。安らぐ間もないでしょう。たぶん発狂してしまいそうです。
まあ、世界遺産として登録された以上観光客が大挙して押し寄せるのは覚悟のうえかもしれませんが、やはり我々観光客もそこで暮らしている人がいるということを踏まえたマナーを守る必要があると思います。

町並み地区まで来る途中の道路には石見銀山ラムネの空のビンが道路脇にコソッと捨てられていたり、そこに住んでいる人がどうこう以前の当たり前のマナーすら守れない人も多々いるようです。本当に、平気でこういうことをする人は観光とかする資格はないと思います。どっかの世界遺産に落書きしたDQNと同じレベルかと。

四国の遍路道世界遺産に、という運動があるようですが石見銀山の状況を見るとそこに住む者としては正直やめてほしいなと思わざるを得ません。
今ですら軽い気持ちで88ヶ所巡りに来た若者が閉店後の店舗に忍び込んで店の商品を喰い散らかし一夜を明かすという無秩序なことが起こったり、大型バスで大挙して寺まで乗り付けて美味いものをクチャクチャ食いながら観光気分で札を納めて朱印をもらうような、我々に言わせればそんなものは「お遍路さん」ではありません。
88ヶ所巡りとは昔から人生に色々なものを背負った人が救いを求める為に全てを捨て置いて行ったいわゆる苦行であって、だからこそ四国の遍路道にはそんなお遍路さんを温かくもてなす風習があり、そうしたお遍路さんとそこに住む人達の係わりも全て含めたものが「遍路道」で、その醍醐味というか、何に価値があるのかと言えばそれは目に見える建造物や自然的景観よりも道行きで出会う精神世界に帰依するところが大きいのですが、今はそんな本物のお遍路さんには滅多にお目にかかれません。右を見ても左を見ても俄か遍路です。もしも「世界遺産」というお墨付きが張られたりしたら俄かですらない遍路が更に増え遍路道の本来の価値は完全に失われてしまうような気がします。

まあ、遍路道に関してはもしも認定される事があるとしても88ヶ所のうちのごく一部の場所に限られるとは思いますがね。

世界遺産として認められるのは素晴らしい事かもしれませんがそんなモノに登録されなくったって素晴らしいものは素晴らしいしその価値を理解できる人にとって価値があるものであればいいのではないかと思います。「世界遺産」というラベルが貼られていなければ価値を感じられないようなミーハーな人達が平気でその場所を汚していくということも否めません。守るべき価値のあるものとして認定されることによってそれまで守られてきたものが壊されるような現状はどこかおかしいと感じます。

何だか、大きく話が逸れてしまいましたが、石見銀山を全て巡った頃にはもう5時過ぎでした。6時間近く運転してやって来て5時間歩きづめでさすがにちょっと疲れたし、そのまままた運転して高知に戻るのはやっぱり危険です。できれば一泊していきたいところですが、何せブラリ感覚で来たものですから当然宿など予約してません。この人出具合から察するに大田市周辺で宿をとるのは難しそうです。
それから宿を探して走り回る事2時間、出雲市まで戻ってなんとか宿にありつけました。島根と言えば温泉も多いので是非とも温泉宿に泊まってみたかったのですが無計画は自業自得なので贅沢は言えません。でもダブル一室に3人で、はあんまりかとw

ダブルのベットに3人で川の字になって疲れが癒えたのかもよくわからないまま翌日は9時にチェックアウトし出雲大社へ。
朝9時ならそんなに人も来てはおるまいと思ったのですがそれは大きな間違いでまたしても駐車するのに15分ほどかかり、当の出雲大社石見銀山よりも遥かに人出が多いように感じました。

と、ここで何故か我らが地元でお馴染みの見覚えのある人物を発見します。





退助?ねえ、退助じゃない?自分、板垣退助だよね?

別人でした。

どうやらこの時代の人達はよく似た風貌をしているようです。

すごい人出だったので拝観は諦めましたが宝物殿でやっと当初の目的であった神話の故郷出雲に触れたような気持ちになります。
まさかここで村正や正宗が観られるとは思ってもいませんでした。驚きでした。なんだか、人を殺めた道具という感じはしませんでしたが、ホンモノなんでしょうか。たしか正宗は東京国立博物館所蔵だったような気がするし、村正に関しては現存しているという話はあまり聞いたことがないように思います。しかしどうせレプリカを置くならもっと出雲と係わりの深い剣にしそうな気もしますがね。
もしや天叢雲や八握剣もあるのでは?と思ったけれどもさすがにそれはありませんでした。レプリカでもいいから見たかったですね。

他にも色々な史跡を巡って歴史を感じてみたかったのですが昨夜満たす事ができなかった「温泉に浸かりたい」という欲求を満たすために出雲大社を後にしてまたしても大田市に向かいます。目指すは温泉津町です。
見るからに温泉ですよ言わんばかりの地名ですが、その名の通りかなり由緒ある温泉地のようです。しかし、真昼間の時間帯なら大体の人は他の観光地に行っているだろうし入れないなんて事もないと思います。

温泉津は昔ながらの町並みをそのままに残した港町でもし夜ここに来たらまるで昭和初期にタイムスリップしたかのような感覚に陥りそうな感じがします。石見銀山の町並み地区よりも遥かに年季が入ったカンジがします。
温泉街にありがちな歓楽街などはなく、通りには旅館が立ち並び宿泊客は通りに2件ある共同浴場に通う(湯量が少ないので旅館には分湯されてないらしい)という昔ながらの湯治場のシステムをそのままに残していて、これぞ鄙びた温泉町のお手本というカンジです。


お湯の成分はよく見てませんが火傷や日焼けなんかにも効能があって原爆症の治療にも用いられたらしいです。

共同浴場もかなり古い建物で、天然の温泉を引いてるって以外はただの健康ランドじゃねぇかよと見紛うようなガッカリ温泉とは違って質素ですが趣があり歴史を感じます。とにかく来てよかったと

温泉を堪能した後、帰りは元来た方とは逆の浜田市から高速に乗ってしまなみ街道を経由して高知に向かおうという事になりました。途中、しまね海洋館アクアスに寄って白イルカを見た後、お巡りさんに車を停められましたw
まあ、捕まったワケではありませんがかなり寿命が縮まりました。

丁度夕暮れ時にしまなみ街道を通るように計算して高速に乗ったのですが、いつの間にか広島方面ではなく山口方面に向かってて20分くらいロスしてしまったおかげで瀬戸内海の夕焼けは見逃してしまいました。
かなりの強行軍でしたが温泉の効能か翌日の疲れはゼロ。色々ありましたがまあいい旅だったなと、そんなふうに思います。