もしかして特産品?

先日久しぶりに車で出かけた帰り、時間的には平日の正午頃のことですが、おでの前を割りと速度の遅い車が走ってまして、ですがおでも全く急いでなかったし、おでの後ろから来ている車もあんまり飛ばしてないのか結構車間距離が空いてるようだったので特に車線変更するでもなく普通に追尾してました。
やがて車はトンネルに差し掛かったんですが、トンネル見えてくると何故かみんな速度が上がるのね、不思議なことに。あれって何なんでしょうね、トンネル内はブッちぎらなきゃいけないみたいな暗黙のルールでもあるんでしょうかねw
おでの前を走ってた遅い車も俄かにスピードを上げはじめたんですが、丁度その時隣の車線を猛烈な勢いで走ってきたダイハツムーヴがおでとその車の間に入り、前の車を猛烈に煽りだしました。見ててかわいそうなぐらいピッタリつけて煽ってます。怖いので車1台半ぐらいの車間距離は取ってましたがその時既に75キロくらい出てましたしトンネル内は途中から下り坂になり出てすぐ信号があるのでちょっと減速しようかと思ってバックミラーをチラッと見ると、なんとおでも猛烈に煽られてるじゃないですか、後ろの車からw
一般道でさ、75キロも出てりゃ上等じゃないですかね、一体何キロ出したいのよwっていうか、前の車がその前の車を煽ってる状況でおでを煽ってどうなるんですか、と思うんですがね。もしかしてアホなのこの人?と思いました。
おでが空けてる1.5台分の車間距離が気に食わないとでも言うんでしょうかね。だとしたらきっと事故ってみるまで危険予測ができない人に違いありません。どちらにしろアホです、やっぱり。


トンネル内って速度感覚麻痺しますしね、気が付けば30キロオーバーとかザラで、赤切符は逃れたものの過去2回くらいはそれで捕まってますし、ジモPのおでは散歩がてらにこのトンネルの出口で車やバイクが白バイに停められてるのをよく目にしてるのでね、煽られてようがこれ以上速度上げる気はナッシングです。下げることはあっても上げませんよ絶対。勝手にイラついてろよです。
そんなこんなでトンネルを出て信号待ちのために本格的に減速します。おではそのまま直進しますが後ろの車は右折レーンに入ったのでどんなヤカラか見てやろうと思って横を通る時に車を覗き込むと、向こうもすれ違いざまにこっちをガン見してます。ガン見してるっていうか明らかにメンチ切ってますよw
DQN、ってカンジではなかったですがねぇ、年齢的にはどう見てもおでより上、30代後半くらいに見えました。ノーメイクでズボラそうな感じの女性で、特筆すべきは助手席に同じような顔をしたどう見ても母親っぽいオバサンが乗ってて、そのオバサンまで一緒になってメンチ切ってることです。まあ、この母にしてこの娘ありってことなんでしょうね。

ヤカラの子はやっぱりヤカラなんですね。というお話です。


本当に、最近は車で出かけることがめっきり減りました。
ちょっとそこまでくらいなら自転車の方が小回りが利いて運動にもなりますし、ヤカラから謂れのない煽りを食らうこともありませんしねw
遠出をする気力が失せたということもありますが、なんかここ数年マナーとか超越したレベルの恐ろしい運転をする人がやたら多くて、運転してて恐怖を感じることが多々あるのも一因です。まあ、おでの運転も同乗者から怖いってよく言われますが、そういうレベルではないと思います。

例えば、普通に郊外の道路走ってて車を路肩に寄せるわけでもなく突然何の前触れもなく停車して車を降りたかと思いきや道路の真ん中に堂々と車停めたまま悠々と自販機でジュースを買う人がいたりね。
この手の経験は1回だけじゃなく何度かありました。

信号も曲がり角も何もない所で前の車がブレーキ踏んで減速してもウィンカーもハザードもついてないのにまさかそのポジションで止まるなんて決してよくあることではないですからね、適当な車間距離を取っててもやっぱりビックリします。「え?何?何?そこで止まるの?止まっちゃうの?」状態です。で、「なにごとなの?故障?」って思ってると助手席から人が降りてきて道路脇の自動販売機でジュース買っちゃってるような次第で。特にDQN的人種のようにも見えない平凡な感じの30代くらいの人に見え、特に悪意があるようにも見えず後続車の存在はまるで眼中に入っていないというか、むしろ自分達の行動が他者に脅威を与えたり迷惑をかけるものだとは思いもしていないというような感じに見えました。
似たような状況で、普通に道路を走ってると前方の走行車線中央付近にこれまた路肩に寄るわけでもなく停車してる車が見えてきて「なにごとかしら?」と減速しながら近付くと運転席でいいトシした偽エグゼクティブ*1風のオッサンが携帯電話で話してたこともありました。すごく嬉しそうにニヤニヤしてたので車が故障してJAFに電話してるようには逆立ちしても見えませんでした。携帯電話使用時は停車するという心掛けは良いと思いますが、停めさえすればいいってもんでもないと思います、普通に考えて。
なんか路駐とかの方が一応周りに気を使って寄せてる分まだかわいいように思えてきます。

それとはまたちょっと違いますが、田舎道とか走ってると結構な頻度で遭遇するのが道幅の広い直線道路では快調に飛ばしてるのに道幅が狭くなったりカーブが多くなると極端に速度が落ち後続車を引っ張る車です。
手前の直線では60〜70キロくらい出してたのに突如30キロとかの亀走行で精一杯頑張ってようやく40キロ超えはじめたかと思うとカーブのかなり手前から何度も小刻みにブレーキを踏み踏みしたりするので怖いしイラつきます。正直言って蛇行運転や暴走行為と同じくらい見てて怖いです。で、しばらくそれで走ってると後ろがめちゃくちゃ詰んでくるのでそれがプレッシャーになるのか突然「お先にどうぞ」みたいなカンジで左に寄り始めるんですが、寄ることで更に恐る恐るになるのか余計に速度が落ちるし、寄ってくれたところで結局対向車線にはみださなきゃ追い越せないわけで、峠とまではいかなくてもカーブの多い山道で先の見通しがきかないうえにそこそこ対向車も来てる状態でそんなことされても何の意味もないです。死ねって言われてるのと一緒です。しかもそういう場所は大抵の場合ハミ禁なんですがね、もうセンターラインを見る余裕とかないんでしょうね。しかも、左に寄ってるかと思いきやカーブの際には異常なまでに右に振るし、そんな亀みたいな速度でカーブ曲がるのに何故車体を右に振る必要があるのか、と。まあ、それでも追い越しかけていく車は何台かいます。よっぽど頭に血が昇ってたのか10台くらい後ろからロケット的なスピードで追い越しかけて対向車が来るスレスレで車線に戻るみたいなカンジでかなり無謀です。こういう追い越しかける人も大抵民度が痴れてるので事故っても自業自得だと思いますがそんなんで事故に巻き込まれたらこっちはたまったモンじゃないです。で、やっとハミ禁エリアを抜けて残る後続車全員が「さあ追い越すゾー」とアクセルを踏み込む体勢に入った途端、さっきまでの亀は突然カモシカに豹変して70〜80キロくらいで走り出したりするわけです。その人的には「あ、ここなら大丈夫!なんとかスピード出せますよ!今から挽回しまーす!」くらいのつもりかと思われますが、最早イヤガラセとしか思えなくなってきます。その先にはまた次なるハミ禁エリアが待ち受けてるというのにね、中途半端な山道では難所と言われる峠と違って登坂斜線とかまず設けられてませんし「今寄れよ!」とツッコミたい気持ちでイッパイです。
たしか、教習所のカリキュラムの中にスピード出したままカーブを曲がるのとかあったと思うんですが、どうやってクリアしたんだろう、と不思議でたまりません。
運転に自信がない人を煽って無理にスピード出させて事故られても怖いので山道でも普通に飛ばせとは言えませんが、道を譲るタイミングとかまともな状況判断ができないのはどうかと思います。また、そのくらい運転に自信がないと思われる人が直線だからと安心して70キロ80キロで走ってることも普通に怖いです。万が一のアクシデントに対応できるんですか?と。おかげで、結局こっちも無茶なスピード出して追い越さざるを得なくなりますし。

こういう”おで的安全運転のつもりがまわりの交通状況に合ってなさすぎて却って無謀運転”みたいになってる人は市街地でも結構みかけます。そういう車がいると交通の流れに支障が出てその回りの車もイラだちから無謀運転になりがちなので2段構えでデンジャラスです。
はっきり言って「ちゃんと止まって左右確認しましたよ!!」「いえ、完全には停車してなかったので一旦停止無視です。」みたいな軽微な交通違反よりよっぽど危険だと思うんですが何故取り締まらないんですか?と思います。だから、速度さえ出してなければ安全運転だ、みたいな思い込みから状況判断や危険予測を怠る人が増えるんですよ。


あと一番最近の記憶では交差点の手前で信号待ちしてる時、道路脇の店の方になにげなく目をやると駐車場から1台の車が今しも発進しようとしてました。その店舗の駐車場の出口から交差点までは20〜30mくらいだと思いますが、その車は左にウィンカーを出し、歩道を横切り信号待ちの列に入るタイミングを待つのかと思いきや何故かそのまま歩道上で左折しノソノソっと歩道を走行しはじめたではありませんか。一体何をするのかと思いきや横断歩道から車道に出て来て横断歩道を越えた先に停車し信号待ちを始めました。
歩道経由で今青信号で流れてるラインに出たいというのなら百歩譲ってまだ理解できますがもう、何て言うか、開いた口が塞がらない状態です。そんなことするのはジャイアンか893か特定市民くらいかと思っていましたが、運転してたのはかなり肩に力を入れた状態でハンドルを10時10分の位置で握り締めてる女子大生風の普通のお嬢さんでした。どうにか信号待ちの列に入った(入ったといえるのか微妙ですが)お嬢さんは後ろの車中から見ててわかるぐらい「ふぅーっ」ってカンジで肩の力を抜いてましたが、どんだけ緊張してんだよwと。きっと流れる車の列に割り込むタイミングを掴むのが苦手で後ろからクラクションを鳴らされたりしたことでもあるんでしょうかね。たとえそうだとしてもこの時点で(1)歩道を走行(2)赤信号で交差点に侵入という二つの交通違反を犯してますし、交通違反抜きにしても車及び歩行者側両方から見て非常にマナーが悪いです。当の本人は周りからどう思われようがどうでもいいのか、それとも普通に周りが見えてないのか知りませんが、安心しきっているご様子です。
トロくささや運転のヘタさもさることながら、自分がマナー違反(または交通違反)をしているという自覚がない、ということが一番怖いような気がします。
よくいますよね、車同士であわや衝突となりかけた時、明らかに向こうが悪いのに「ナニよもうアッブナイわねー、シンジラレナイ!」みたいな非難の目付きを向けてくる人とか。状況判断云々以前に単に性格的にヤカラであることも多いですがね。
ネットを見てると非常識なことをしておいて「わたしはこうしないとダメだからこうしてます。それが悪いことなんですか?じゃあわたしはどうすればいいんですか?」みたいな意見を素でおっしゃってる人をぽつぽつみかけますが、そういう感じなのだと思います。その人にとっては「こうしないと自分が困る」「こうでなければ自分が困る」という正当な理由があってのことなんでしょうね。社会的にはそんな理由認められませんがね。


まあ、最初の煽り母娘とかは明らかに民度が低いと感じるけど、後述の人達に関しては民度がどうこうっていうより家畜化されてるという印象を受けます。
家畜っていうとすごく差別的に聞こえるけど、単に野性の反対語としての意味です。能動的に対して受動的、と言い換えてもいいですが若干ニュアンスが違うような。

元は野生であった動物が家畜またはペットとして人間に飼われることで野生の本能を失うということは珍しくないですが、家畜・ペット化された動物は全て野性の本能を失うというわけではなく人間に飼われていても野生の本能を大なり小なり残していることはあります。
以前ウチで買ってたハム2匹や今実家で飼ってる猫2匹にも違いが見られますが、小動物の場合太ると外的に狙われやすくなり肥満は死を意味するので自分で食べる量をコントロールし太らないようにしようという本能が働きます。飼われていてもこの本能を留めていて必要以上は食べない個体もいれば一方で、与えられたら与えられるだけ平らげ与えられてもいないもう1匹が残したものまで食べ、飼い主側で栄養管理をしてやらない限り際限なくどこまでも太る個体もいます。後者は野に放てば人の助けなしに生き残ることは難しく完全に家畜化されていると考えられます。

人間も本を正せば野生動物なわけで、文明が発達する以前は、野を駆け狩りをし外敵や自然から身を守りながら生きていたわけです。生死を分けるのは自分達の肉体や知恵であり、身を守り生き延びるためにはあらゆる身体能力や五感に加え野生の勘のようなものも駆使しなければならなかったことと思います。
おでは原始時代に生きたわけでもないのでその野性の勘が具体的にどういうものかまではわかりませんが想像に難くないところで言えば天候の変化や災害を予測したりするなど、生きるために必要であるが故に研ぎ澄まされた感覚のようなものじゃないかという気がします。
やがて人間はコミュニティーを形成し協力関係を築くことでその生存率を高めていき、コミュニティーに所属できるか否かが生死を分けるということになれば今度は必然的にコミュ力というやつが必要になり、そういったものを身に付けていったりしたんじゃないでしょうかね。
つまり、空気を読む・危険を予測するといった能力もそういう生き延びて種を保存するために生じる必要性の中から発生した能力であり、その正体は感覚器系を駆使し得た情報を収集・蓄積・分析した結果である、ということになります。推論ですが。

だったら何故現代社会でKY問題(空気読めない・危険予測できない)が取り沙汰されるかも説明がつくというものです。
文明が発達し便利な世の中になった現代社会においては、コミュニティーにうまく所属できなかったところで多少イヤな思いをすることはあっても死ぬ危険に直面するわけではないし、自分自身で危険予測ができなくともあらゆる専門機関が勝手に様々な危険を予測しあらゆるメディアがそれを発信してくれるので別に困らないわけです。言うなれば現代人は文明に飼われ本能を失い家畜化しつつある、そういう意味で家畜化という言葉を用いたような次第です。


曲がり角5m以内の場所には駐車してはいけないとか、停止車両などの障害物がある場所でほぼ同時に行き違う場合は障害物のある側が停車して待つとか、下り坂での追い越しはしてはいけないとかそういった微細な交通ルールを守っていない人ってのはザラにいますがね、こういうのは状況次第っていう部分もあるので何故してはいけないのかは知っていて状況に応じてやむを得ずルールを破るのと、よくわかんねーけど迷惑かけなきゃ別にいいんじゃね?みたいな感覚でルールを破るのとではえらい違いがあります。中には本気でわかってない人もいるのが現状ですが、どうやって免許取ったのか不思議でなりません。
規則というものはエビデンスがはっきりしてこそ活きてくるもので、その根拠を理解していなければ不測の事態に対し臨機応変な対応はできません。

この、規則に根拠を求めず軽視する傾向は中高の教育課程で培われているような気がします。学校の規則などというものは半ば集団生活の中で規則規律を守るという習慣を身に付けさせるためのものと言えます。だから服装や髪型や通学用の鞄まで厳密に校則通りにしなければならない明確な理由などというものはいくら考えても存在するとは思えずそれらの規則は軽い気持ちで破られるモノへと変貌し、規則=クダラナイみたいな認識を作ることに繋がったり。一方で、一見無意味に見える規則でも「規則だから」という理由でそれを遵守するタイプの人間を生んだり。学生時代ならこういうタイプの人間は真面目で優秀とされるが「何故スカート丈は膝下10cmでなければならないと思いますか?」と訊かれ「そういう規則だから」と素で答えるようではまるで応用が利かず、そのままの状態で社会に出ることは些か危険とも言える。まあ、どちらにしろこんな制度は逆効果じゃないかと思います。規則などというものは所詮人間が作ったものなのでどこか矛盾があったり穴があることもしばしばです。その規則を頑なに守らせることよりも、何故その規則を守らなければならないのかを考えさせ、明らかに不要であったり矛盾しているものについては異論を唱える機会を与え、納得したうえで規則を守れるよう育成することに力を注いだ方がいいように思われます。


人間は疑問を持ち、考えることによって進歩を遂げてきましたが、その進歩がもたらしたものが今、多くの人類の考える力を奪っているように思います。
情報や知識は多くの場合パーソナルコミュニケーションよりもマスコミュニケーションによって受動的に求めようとする前から与えられ、時には強制され、自分自身で考え追求することに慣れていない子供達を生み出し続けています。
好奇心や欲求よりも受け売りが先行し「でもねー、どうせ○○だし」と決め付け自分から何かを掴もうとすることを放棄し無気力さが蔓延するわけです。それが最近よく聞く『若者の○○離れ』とかいうやつなんじゃないですかね。○○離れっていうかもうあらゆるものから離れるくらいに捉えておいた方がいいんじゃないかと思います。
社会へ出たものの自分がどんなふうに生きていけばいいのかわからない、子供を産んでもどう育てればいいかわからない、そういう大人達が超高齢社会を支える時代が近い将来訪れるというのはもう滅びの図式としか思えません。

いつものことですが、最初に言おうとしたことから少し論点がズレつつ話は終わります。

それはそうと、今日始めて知ったのですが『特定市民』という言葉でググると、我々が用いる意味での特定市民としてヒットするのは高知県の記事だけなんですよね。
なんか、高知県人ってもしかしてものすごく民度低いの?みたいな衝撃を受けました。

これは高知特有の呼称でそれぞれの地域によって異なるニックネームが存在するんでしょうか、それとも県外にはそんなヤカラ人間は存在してないんでしょうか。
気になります。

*1:偽エグゼクティブ・・・実際に仕事ができる匂いがするエグゼクティブと違い、仕事よりもアフターに飲み屋のオネーチャンとかからモテることに対してハングリーで、それを己のステータスと考えている。そのために仕事や地位をダシにしたり外側を必要以上にエリートまたはセレプっぽく装っているが会話のセンスやしぐさからすぐに中身の薄っぺらいエロオヤジと痴れる。妻には地味または遊びのないタイプの女を選ぶが、基本的にはいかにも水商売風のケバいオネーチャンやいかにもママサン風の女性に目がない。多くの場合空気を読むことができず周囲を引かせる能力とプライドの高さにかけては超一流で、侮辱に対しては非常に敏感である。